美空ひばりは昭和の歌姫その死因は?

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美空ひばりさん、昭和の歌姫、昭和の

歌謡界を代表する歌手の一人です。

 

hibari

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美空ひばりさんは52歳という若さで

この世を去りました。

 

いまだに美空ひばりさんの死を惜しむ

声が聞こえます。

 

芸名:美空ひばり

本名:加藤和枝

生年月日:1937年5月29日

出身地:横浜市磯子区滝頭

 

 

女性初の国民栄誉賞ももらった

昭和の歌姫。

 

美空ひばりさんの歌、売上ランキング

ベスト10を紹介します。

 

 

第10位 悲しき口笛

1949年発売 売上45万枚

戦後売上枚数最高記録

 

第9位 東京キッド

1950年発売 正確な売上枚数は不明

 

第8位 波止場だよ お父つあん

1956年発売 正確な売上枚数は不明

 

第7位 港町十三番地

1957年発売 正確な売上枚数は不明

 

第6位 みだれ髪

1987年発売 正確な売上枚数は不明

 

第5位 リンゴ追分

1952年発売 売上130万枚

 

第4位 真赤な太陽

1967年発売 売上140万枚

 

第3位 悲しい酒

1966年発売 売上145万枚

 

第2位 川の流れのように

1989年 150万枚

 

第1位 柔

1964年発売 190万枚

 

 

第1位は「柔」、柔道が正式種目と

なった東京オリンピックにあわせた

柔道ソングで大ヒット。

 

 

だけど一番有名なのは、カラオケの

定番「川の流れのように」

 

亡くなる5ヶ月前に発表した名曲中

の名曲。

 

人生の最後に不朽の名作を打ち

出した歌姫。伝説の誕生でした。

 

 

 

1つだけ、しっくりこない事があるのです。

 

それは、あの有名な愛燦々がベスト10

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に入っていないこと。

 

 

愛燦々の売上枚数は25万枚、

美空ひばりさんの魅力は圧倒的な

歌唱力なので、必ずしもレコード

売上枚数にはつながらないという

ことでしょうか。

 

 

個人的には美空ひばりさんの歌の

中では、愛燦々が1番大好きです。

 

 

愛燦々は、美空ひばりさんの歌の

中だけでなく、私の人生の中での

好きな曲TOP10に入ります。

 

 

あらゆる世代のファンがいる歌姫、

それが美空ひばりです。

 

 

いまだに多くのファンの心の中に

いる美空ひばりさん、

 

類まれにみる圧倒的な存在感と

歌唱力、一体、何が原因でこんな

に若くして亡くなったってしまった

のでしょう。

 

美空ひばりさんご逝去の報は日本中

に衝撃が走りました。

 

美空ひばりさんの死因は一体、

なんだったのでしょうか?

 

 

美空ひばりさんは、愛煙家であり、

そしてお酒は15歳から飲んでい

ました。

 

 
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酒とタバコの量は、すごかったん

だろうという想像はできます。

 

最終的な死因は間質性肺炎による

呼吸不全です。

 

 

当然、酒とタバコが元の原因であること

に間違いはありませんが、

波乱万丈な人生が、それだけではない

事を物語っています。

 

 

美空ひばりさんのお母様が亡くなって

から、心身ともに疲弊していかれたの

です。

 

その1年後には大親友の江利チエミ

さんが亡くなりました。

 

 

更に1年後に弟の哲也さん(42歳)、

更に3年後に弟の武彦さん(42歳)

を亡くし不幸が続きます。

 

これだけの短期間に家族や家族同然

の人達を次々と失い、精神的にダメー

ジがないわけがありません。

 

美空ひばりさんの死因における最大

の要因は、いりいろと言われておりま

すが、一番の原因は昭和の歌姫の

代償とも言える波乱万丈の人生なの

ではないでしょうか。

 

 

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